Sunday, November 01, 2009

古典


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Aaron Cometbus, ed. Cometbus [ZINE]
アーロン・コメットバスが作っている『コメットバス』というジンについて。ジンの世界ではいわゆる古典の部類に入るもので、しばらく『コメットバス』のファンジンを作ろうとしてだけど、まったくすすみそうにもないのでブログ落ち。以下、その下調べ的な8個の覚え書きです。退屈注意。

長いので内容をかいつまんで紹介すると「おそらく北米で最長寿のジン」「パージン(perzine=personal zine)というジャンルの誕生」「ベイエリア特有の過激な体臭」「2ドルのジンで生活費を稼ぐ方法」みたいなことが書かれています。

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経歴
1981年、カリフォルニア州バークレー在住のアーロン・コメットバス(1968-)が創刊したパンクジン。オールドスクールな制作法(ペン、ハサミ、ノリ、コピー機で作る)を現在も続ける、おそらく世界で一番有名なジン。アーロン・コメットバスの自慢のひとつは、自分のジンが『マキシマムロックンロール』(サンフランシスコの老舗パンクファンジン)よりも長い歴史を持っているということ。最新作は2009年に発行された52号("The Spirit of St-Louis")。

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業績
25年以上ジンを作り続けているアーロン・コメットバスのすごいところは、かつてのジャック・ケルアックのようなひとつの世代を代表する作品を残しているみたいなありがちな説明よりは、ジンの売り上げだけで生計を立てるというだれもが不可能だと思っていたことを実現した点にある(2ドルのコピー誌の売り上げだけでって意味ね)。水と油な言い方だけど、おそらくジン史上初のプロのジンスターということ。あとそういえば、彼は『コメットバス』のことをZineではなくMagazine(あるいはMag)と呼ぶことが多い。

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うわさ話
アーロン・コメットバスの父親はユダヤ系アメリカ人の大学教授とのうわさ(リチャード・ヘルと同じ経歴)。あと『コメットバス』といえばの有名な手書き文字は彼の母のメモ書きを真似たものらしい。

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音楽活動
写真は現在アーロン・コメットバスが在籍するベイエリア出身者のオールスターバンドThorn of Life。真ん中のタンブラーを持っているのがコメットバス。他のメンバーはJawbreakersのブレイク・シュワルツェンバック(右)、『Lワード』の役者として有名になったダニエラ・シー(左)。"Live at 924 Gilman Street, 01/31/2009"とググると924ギルマンでのライブ音源が落ちてるよ。

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パージンの典型1
いわゆる典型的なジンのレイアウト(Cometbus #24, 1990)

『コメットバス』はベイエリアのパンクシーンについてのファンジンとして創刊。当初は、英国の初期パンクファンジン『スニッフィングルー』のフォーマットにならい、レコードやライブのレビューといった音楽を中心とした内容で、また、コメットバス以外の人にも寄稿をつのるという編集方針をもっていた。

ところが、90年代に近づくにつれ、『コメットバス』であつかわれる題材は、パンク音楽やシーンについてというよりは、アーロン・コメットバス本人の「現実の生活」の問題へとシフトしていく。『コメットバス』はパンクファンジンであることを止め、パンクシーンがつちかってきた価値観をライフスタイル全般(例えば住居、旅、食などの問題)に適用していくことを主な目的とするようになっていった。彼は90年に出版された24号の巻頭でその変化について以下のように書いている。

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『コメットバス』はいまも変わらずパンクジンだ。バンド、レコード、シーンをカバーしてないのにどうしてパンクジンなのかって? だって、そんなものはどれも一時的なものだし、それに他の人たちがもう十分にカバーしてくれているだろ。もっと重要なのはパンクのライフスタイル、ものの見方、姿勢について取り上げることであり、それを「現実の生活」に適用していくことだ。多くの人はパンクを自分たちの小さなシーンからよりひろい外の世界へとあてはめていくことでつまずいてしまっていると思う。そして、ぼくがやりたいと思っているのはそれだ。もちろん楽しみながらね。コメットバスをパンクジンと言ってしまうことで、その可能性を限定していると思う人もいるだろうが、ぼくはそう思わない。パンクというラベルが制限してしまうとすれば、それを狭い意味でしか考えてないからだ。自分のことやこのジンのことをパンクと呼ぶのは、たぶんそうすることによってライフタイルに対しての考え方を広げることができると思っているからだ。わかった? (Cometbus #24, 1990)
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こういった流れ(東京のジンでいうなら『エクスパンジョン・オブ・ライフ』系へのシフト)で、『コメットバス』というジンは、メモワールというか、彼本人の現実を物語化した一人称の小説とも言えるものへと変化していった。このスタイルは「ジャーナリスティックなジャーナル(日記)」とも呼ばれているが、もっと簡単に一言でいえば、ファンジンのパージン化ってこと。『コメットバス』は90年代以降に主流化していったジンのジャンルであるパージン(perzine=personal zine)の代表格といえる。

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ベイエリアのパンクスの典型
以下、アーロン・コメットバスがいるベイエリアのパンクシーンについての文章より。

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これであなたはベイエリアのパンクスの一員だ。もしあなたが〈ずっと同じ服を着つづけて、シャワーを浴びなければ〉。

西海岸のパンクシーンにおいては、あなたのにおいがひどければひどいほど、周囲からの評価は高まっていきます。以下の悪臭チェックリストは、その人の体臭と街でのポジションを把握する上での手助けとなるでしょう。

1 初級者:古くなってつんとするチェダーチーズのようなにおい

2 中級者:くさった卵を犬のおしっこでマリネにしたようなにおい

3 上級者:赤ちゃんの嘔吐と野球場のマスタードにひたされた腐乱死体のようなにおい

体臭を名誉のしるしのようにまとうベイエリアのパンクスにとって、衛生はかくも重要な意味を持つものとなっています。
[Leslie Simon Wish You Were Here (2009)]
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これはちょっとおちょくりすぎだけど、たしかにほぼホームレスのような生活を送っているアーロン・コメットバスの物語を読んでいるかぎりでは、彼もかなり攻撃的な体臭を持っていることがわかる。これけっこう重要なところ。

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パージンの典型2
切り貼りを放棄したレイアウト(Cometbus #29, 1992)

1992年頃、アメリカではジンブームが興り、ジンはマスメディアにおいても注目されるようになっていた。それはこれまで目立たない存在であったジン制作者が、インディロックバンドくらいの(マイクロ)セレブになったということを意味していた(もちろんこれは90年代にパージンが主流化した要因のひとつ)。

当時のアーロン・コメットバスが腹を立てていたのは次の2点。まずはマスメディアがジンを突然どこからともなく生まれてきたトレンドとして報道すること。そして、どちらかと言えばこちらの方が問題視されているのだが、2つ目の非難の矛先はインディメディアに対して向けられたものであった。たとえば「最良のオルタナティブプレス」と称する『UTNE Reader』がやり玉にあげられる。

コメットバスが気に入らなかったことは、ジン文化に精通している(と思っている)若いライターたちが、したり顔で、あるいはジン文化を助けているつもりで、「ジンにはファンジン、政治、アート、セックス、ユーモア、旅行というジャンルがあって・・・」という風にジャンル分けしていったことだった。そしてなによりも、パンクジンをただのファンジンとしてひとつのジャンルに囲い込んでしまったことがとどめとなった。上の抜粋や次に紹介する引用からもわかるように、彼はパンクを通じてあらゆる問題を考えていくというスタンスをとっていたからだ。インディメディアによる報道の問題は、彼が長年かけてたどりついたパンクのライフスタイルへの拡張という考えを逆行させ、『コメットバス』をただのファンジンと定義づけてしまったことにあった。

そのレスポンスとして、コメットバスは切り貼りレイアウトなしの、文字だけの号を出版する。これまでの号では他の寄稿者による連載コラムやインタビュー記事があり、基本的には従来の雑誌のフォーマットを使っていたが、29号ではコメットバス本人の文章だけで構成されこととなる。また、『コメットバス』はなにかと手書き文字のことを強調されるが、かつてはタイプライターによるテキストが主流であったが、この号ではタイプライターも使っていない。この雑誌レイアウトの退化(ファンジンのフォーマットの放棄)が意味するのは、理解者ぶっているインディメディアに対して、そんなジャンルわけくだらないぜってことを身をもって示しているといえる。

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この号の目的は、とにかくあらゆるものをいっしょくたにして、大きなライフ・シチューの中で調理してしまうことだ。日常的で小さな問題と巨大で漠然とした思想のようなもの、真面目なものとおかしなこと、政治とセックス、ぺてんの方法にチェックすべき場所、あるいは思いつきなど、すべてのものをカテゴリーわけせずにひとつの物語としてつむいでいくこと。そして、この物語を通して、この本の目的である、全体に通じるひとつの特徴、テーマ、モラルといったものを少しでも浮き上がらせていこうと思っている。(Cometbus #29, 1992)
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こういった意図に反映させる形で、29号では旅行記、コメットバスの地元バークレーについてのエッセイ、スクウォットでの生活ドキュメント、パンク論、読者からの手紙、ジン・ブームについてもの申す、友人の紹介などといったものが、24の断章形式で書かれていくことなる。24号におけるパンクの日常生活への拡張という考えが、内容にけるファンジンからパージンへの移行を意味するならば、この号のレイアウトはパージンというものの編集スタイルの確立を意味しているかもしれない。

あともうひとつこのレイアウトの劣化が興味深いところは、普通の雑誌なら規模の拡大に比例して立派な誌面へと成長していくのに対し(『パンクプラネット』なんかはそう)、『コメットバス』は雑誌としてはある意味でしょぼくなっていくことによって部数を1万部まで読者を増やしていったこと。

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ビジネス
以下は、アーロン・コメットバスが出版ビジネスについて語っているところ。『コメットバス』のアンソロジー Despite Everything: A Cometbus Omnibus(Last Gasp, 2002)が出版された当時のインタビューより。抜粋元は『パンク・プラネット』51号、インタビュアーはラリー・リヴァモア。

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ーーもし君のところに出版社の人が来て「出版してあげるから小説を書いてくれ」って言われたら、なんて答える?

ぼくのところに来た出版社のだれもがまず部数と値段の話を始めるんだ。でも、ぼくは一冊2ドルで1万1000部売ることができるけど、彼らの提案は一冊を1000部10ドルで売るってこと。何もかも自分で出版したいとは思っていないし、他の人が自分の作ったものを出してくれるってアイデアはいいと思う。それが納得のいくものだったら、よろこんで出版社に協力するよ。でも出版業界は、小さいのも大きいのもーーとくに小規模出版社の場合がそうなんだけどーーわけのわからないことをしがちだ。ぼくたちがパンクシーンですでに成し遂げてきたくらいまでに彼らが達することはなかなか難しいよ。実際、自分はほとんどのインディ出版社よりも長い間出版してきたんだ。パンクスが時間と労力を捧げて自分たちでやってきものを、それをなにも理解していない彼らに譲ることになってしまう。でも、今回のアンソロジー出版は、自分ではできなかったことをついに実現したことになる。というか、別にやろうと思えばできるけど、それに時間を費やすより新しいものを作る方に力を注ぎたいしね。

ーーインディ出版の世界では、インディレコード・レーベルのような成功をまだ手にしていないように思える。インディレコード業界がうまくいったのは、彼らがより安く簡素にかしこくやっていく努力をしてきたからだ。でも、小規模出版社はいまだにそのことを理解していない。

うん。おかしなことだよ。パンクスでさえそのことを理解していないと思う。彼らは小さな本を出して10ドルで売ろうとする。別に2ドルという値段にこだわっている訳ではないけど、ぼくは2ドルで売って利益を上げることができる。そんな値段が重要ってわけでもないけど、まあ、みんな安いほうがいいと思うだろ。でも、本になると別物みたいな考えになってしまう。でも、ぼくはやろうと思えば小説を1万部以上売ることができるんだって知ってるし、そうやってきたんだ。しつこいけど、部数もそれほど重要な問題じゃない。100部でも自分の好きなように売れるならそれでいいんだし。
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Saturday, October 31, 2009

後期高齢者社会


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上の図、2007年に『ニューヨークタイムズブックレビュー』紙で行われたアンケート企画「過去二十五年に出版された最良の文学作品ランキング」に選出された作家たちの年齢分布をグラフ化したもの。
http://www.nytimes.com/ref/books/fiction-25-years.html

1位のトニ・モリスン『ビラブド』につづき、モリスン(78歳)と同じく1930年代生まれの作家の名前ーードン・デリーロ(74歳)、コーマック・マッカーシー(76歳)、ジョン・アップダイク(生きていたら77歳)、フィリップ・ロス(76歳)ーーがずらりとならび、51年以降に生まれた作家は一人も選出されることはなかった。アラウンド還暦世代でさえもまだまだひよっこなアメリカ文学シーンの現実(・・・というのは言い過ぎだけど、過激に保守的な結果)。

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Read Hard: Five Years of Great Writing from the Believer
(McSweeney's, 2009)

こないだ出版されたサンフランシスコの文芸誌『ビリーヴァー』のベストエッセイ集。編者はヴェンデラ・ヴィーダ(38歳)とエド・パーク(39歳)。政治的正しさを配慮した感じもあるけど、ミシェル・ティー(38歳)が表紙に名前がのるくらい出世しているのはうれしいな。

『ニューヨークタイムズ』の超保守的なランキングには、この本の看板にかかげれられているリチャード・パワーズ(52歳)やウィリアム・T・ヴォルマン(50歳)といった「若手」作家たちはもちろん選出されることはなかった。『ビリーヴァー』周辺のアラフォー作家たちはしょうがないとしても、もうキャリアが25年くらいあるパワーズとかそろそろ若手扱いを止めてあげないとかわいそうだよ。

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Delta 5 "Mind Your Own Business"
(Kill Rock Stars, 2009)

もうすぐ発売されるデルタ5の名曲「マインド・ユア・オウン・ビジネス」の30周年を記念した7インチ。最近のキルロックスターズは名盤のリイシューものを立て続けに出していて(しかもアナログのみ)、なんだかセンチメンタルだなあって思ってたけど、これ日本でいうところの古典の新訳ブームみたいなやつか。

というよりも、KRSがレインコーツの1stアルバムをリイシューするニュースを聞いて素朴に大喜びしていた自分(29歳)は、時空の歪みきっているアメリカ文学界の保守的なメンタリティとそれほど変わらないんじゃないかって気がしてきた・・・。

Wednesday, October 28, 2009

ポートランド特集本


ローラ・ギブスンとイーサン・ローズの来日(現在ツアー中!)にあわせて作られた『スウィートドリームス』編集長によるポートランド特集本『Oh Portland, So Much To Answer For(オレゴン州ポートランドの音楽と人とレコード)』。
http://www.sweetdreamspress.com/#

なにはともあれ注目は「幻想のポートランド史ーー持続的風変わり」。シアトル出身のセス・ハイさんによるエッセイで、1843年から現在までポートランドのアイデンティティとなってきたウィアドネス(風変わり)の歴史について。巻頭記事を飾っているだけあって、このポートランド本が意図するものを見事に代弁しています(おそらく)。

この記事では、ここ20年でポートランドが突然クールな街に一変したかのように、それ以前の歴史を無視してむじゃきに盛り上がっている昨今の風潮を修正。軽卒なポートランドファンの典型である自分としては耳が痛い話です。

とはいえセス・ハイさんのエッセイは、「本物」のポートランドの歴史をぶつけるのではなく、あくまでウィアドなスタイルで歴史を語っているところがポイント。こういうのあこがれるな。というか自分がばかの一つ覚えのようにサンフランシスコの文芸誌『ビリーヴァー』が面白いって言い続けているのは、セスの記事みたいな良質なウイットに遭遇できる可能性がとても高いから。

この記事でポートランドのウィアドネスを象徴するハーヴェイ・ザ・ラッキー・ラビット。このうさぎにファックユーって叫ぶと願いがかなうらしいよ。自分の地元の国道沿いにもむかしこういうのたくさんあったな。

他にもポートランドで活動するアーティストたちの実際の生活事情(そんなに楽ではない)とか、スリーターキニーのジャネット・ワイスの行きつけのレストランとか、P-Heavyのちふみさんや越前屋大輔さん(新人)のディスクレビューなどなど盛りだくさんの32ページです。自分もほんのちょっとだけ関わらせてもらいました。

でもなんで表紙が落花生なのかは不明。そういえば昨日うどん屋で福田編集長が実は好きだったとカミングアウトしていたあのテレビ番組(とてもここでは口に出して言えない番組)で・・・。

Saturday, October 24, 2009

なんかしょぼい


ジェイムズ・チャンスとアニヤ・フィリップス (Anya Phillips)。以前、うちのダーティに「このふたりはNo Wave界におけるジョン・レノンとオノヨーコ的なカップルなんだって」と言ったら、ちょっとあきれ気味に、「そのひと、オノヨーコと比べるほどの人なの?(そもそもこの世にオノヨーコと比べられる人が存在するのかという意味がこめられている)」と軽くいなされたことがある。

自分のまわりにはジョン・レノンのファンが見当たらないのでわからないけど、ジェイムズ・チャンスに対しても同じことを言われるんだと思う。

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ジェイムズ・チャンス(James Chance)
1953年生まれ。ミルウォーキー州ウィスコンシン出身。1976年にニューヨークに移り、No Waveシーンの代表的ミュージシャンのひとりとなる。彼のバンド、James Chance & Contortionsの音楽はジャンル的にはパンクファンクと呼ばれている。

サイモン・レイノルズ曰く、ジェイムズ・チャンスの音楽的スタイルは、アメリカのポピュラー音楽における3人のエクストリームなミュージシャンーーイギー・ポップ(パンク)、アルバート・アイラー(フリージャズ)、ジェイムズ・ブラウン(ファンク)ーーを、チャンスの小柄な体の中で貧相に再現したようなもの。いわゆるニューヨークのボヘミアンが長年愛好してきたホワイトニグロというスタイルを、意図的に劣化させているという意味だと思う(パティ・スミスをパロディしたようなと言えばいいのかな)。

もっとわかりやすくいえば長嶋茂雄に対するプリティ長島みたいな芸風をもったミュージシャンということ(No Wave界のプリティ)。なんかしょぼいんだけどなんともいえない味があるのがジェイムズ・チャンスの魅力。だからジョン・レノンというのは正解。

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ジェイムズ・チャンスのマネージャーだったアニヤ・フィリップスは、No Waveシーンのフィクサーとして有名な中国系アメリカ人で、マッドクラブ(Mudd Club)の設立者のひとり。チャンスと共同執筆で〈イースト・ヴィレッジ・アイ〉紙にセルアウトのすすめを寄稿(未読)。81年に癌で他界。彼女に関しては情報が圧倒的に不足してて正直何ものなのかがわからない。

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Buy
アニヤ・フィリップスがプロデュースしたコントーションズのジャケット。彼女がデザインしたというぼろぼろ水着を着るテリー・セラーズ。

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ジェイムズ・チャンスがライブ中に観客をなぐるというこれまた迷惑なパフォーマンスをしていたのは有名な話。あるときは会場に足を運んでいたロバート・クリストゴー――〈ヴィレッジ・ヴォイス〉誌の編集長(当時)で、米ポピュラー音楽ジャーナリズム界の重鎮――のガールフレンドを殴り、騒動になったことがあったという。しかし、小柄なチャンスはまったくけんかは弱いので、即座にクリストゴーに取り押され、「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」(池乃めだか)と舞台に戻っていったらしい。

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リチャード・ヘルとジェイムズ・チャンス
リチャード・ヘルとならぶと服装的にも体格的にも好対照。やはり小さいジェイムズ・チャンス。このタキシードのスタイルを作ったのもアニア・フィリップスなんだって。

チャンスとは関係ないけど、リチャード・ヘルの小説『Go Now』(1996)にあったなんとも言えぬシーン。おちぶれたパンクミュージシャンの主人公が、魔がさしたのか、ガールフレンドのカメラマンにしょうもないことを言ってしまったところ。

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俺は、俺の尻の穴の写真をとらないか、と唐突にクリッサに言ってみた。少なくともロックスターがまだやってないことだろ。もっとも、派手なことをやらかして、今の事態から抜け出したかっただけなんだが。
「やめとくわ」と彼女は答えた。「あなたがどうしてもって言うなら仕方ないけど・・・」
「いや、いいんだ、忘れてよ」と俺。
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彼女のリアクションがあまりにもリアルなので、これほんとにあった出来事なんじゃないかと思う。

こないだテレビでザ・パンチというお笑いコンビのつっこみのひとが「お願いだから水のないプールに飛び込んでー」とつっこんでるのをみたとき、リチャード・ヘルが「プリーズ・キル・ミー」と書かれたTシャツを着てニューヨークの街中を歩いていたというエピソードを思い出した。

Sunday, October 04, 2009

皿洗い、昔と今


知らぬまにひっそりと翻訳が出版されていたアプトン・シンクレアの『ジャングル』(1906)。いまだ一度も本屋でみかけたことがない。

『ジャングル』のいいかげんなあらすじ。リトアニアからの移民である主人公ユルギスが、シカゴの巨大食肉工場で搾取されつくされた後、ついに社会主義にめざめるという物語。べたに言えば、100年前の『ファストフード・ネーション』というか、そもそも06年に出版されたペンギンの新装版にエリック・シュローサーが序文を寄せている。表紙のイラストはチャールズ・バーンズ。

なにはともあれ最後の3章。アプトン・シンクレアは、それまで450ページ以上に渡って書いてきたユルギスの物語を横において、急に社会主義のパンフレットみたいな演説をおっぱじめ、なんと主人公をほったらかしたまま終わってしまう。ジンでいうところの'rants'のページというか、この破綻っぷりはかなり圧巻で、むしろ気もちいいくらいの終わりかた。とはいえ自分が読んでいるジンにはそんなことはしょっちゅうなので、そんなにおどろくべきことでもないけど。

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百年前の皿洗いゴシック

さておき、その長演説で弁士のひとりが皿洗いの害悪について論じているところを紹介。ここはシャーロット・パーキンス・ギルマン(超名作「黄色い壁紙」の作者)が書いたエッセイを参照しているみたい。

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ここでは皿洗いの問題だけを取り上げてみたい。五人家族の場合、皿洗いに一日三十分はかかると見積もるのが妥当にちがいない。(略)この皿洗いは実に不潔で、人間の気力を奪い、動物のレベルに引き下げるような作業であることに注目されたい。それは貧血、神経不調、憂鬱、不機嫌、それに売春、自殺、発狂、さらには父親の飲酒や子どもたちの不良化の原因になっていることにも。(『ジャングル』523)
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女性が一日の労働のあとに皿洗いをさせられることによって、肉体精神ともにむしばまれていくというのはよくわかるけど、それが売春、自殺、発狂をひきおこし、さらには夫が酒にはしったり子どもがぐれる原因になるなんて、なんだかすごい威力。100年前の皿洗いはどんだけ暴力的だったんだよ。「黄色い壁紙」が壁紙ゴシックなら、これは皿洗いゴシック。というか、主人公をほうり出してアジりだす『ジャングル』を象徴するような話のぶっとびかた。こういうせっかちなの大好き。

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現在の皿洗い

で、話は大きく飛んで以下、皿洗いといえばのジン『ディッシュウッシャー』について。この90年代の伝説的なジンスターによるメモワール、『ディッシュウッシャー アメリカ全50州で皿洗いをする男の冒険』(Harper, 2007)のメモ。
http://www.dishwasherpete.com/


100年前には発狂の危険もあった皿洗いを生き甲斐にするピート・ジョーダン(aka ディッシュウッシャー・ピート)。アプトン・シンクレアの後ではなんとも倒錯しているようにも思えるけど、初期パンクスにとってのパンクという単語、あるいはライオットガールのスラットでもいいんだけど、ネガティブな意味を持っていたものを転倒させるのはパンクスの伝統芸。

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アメリカ全50州で皿洗いすることを目指し旅を続けるピート・ジョーダン。その10年の軌跡をたどるメモワール。1990年2月10日、24歳のピートはカリフォルニア州アルカタのレストランで皿洗いプロジェクトを思いつく。最終目的地はハワイ。

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90年代のジンブームの中でもっとも有名なジンのひとつ。発行部数25部ではじまり最終的には1万部までとなる。ピートは大手メディアから取材依頼は断るポリシーを持っていたが、90年代半ばに一度だけディヴィッド・レターマン・ショーで友人に替え玉出演させたことが有名。そして07年、本書刊行時のプロモーションのため本人として出演する。


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ピートが皿を洗う場所

ジャック・イン・ザ・ボックス(ファストフード店)にはじまり、カリフォルニア州アルカタのレストラン、アラスカのサーモン加工工場の食堂、コロラドのロシア料理店、ミシシッピーの中華料理屋、ヴァーモントのスキー・リゾート、ポートランドのディッシュ・フェス(トリビア・クイズ大会で優勝)、カリフォルニアの山中にあるサマーキャンプの洗い場、ネヴァダ州のカジノ、メキシコ湾の海上にある石油採掘所、長距離列車の食堂車など。

また、特殊皿洗いも経験。黒人以外が皿洗いすることが許されていないニューオリンズでの職探しや、オレゴンの厳格なユダヤ系のレストランでコシェル皿洗い(乳製品と肉はまぜてはいけないというユダヤ教の戒律にのっとったもの)を習い、ミズーリ州にあるヒッピーのコミューンの洗い場に潜入。


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ピートはサンフランシスコに住むアイルランド系移民の子供。貧しい7人家族の末子。彼の父親は若い頃に職を求めてアメリカに移住し、生涯公務員として働き続けた。ピートは子供のころから現代において昔ながらなのアメリカン・ドリームは不可能であることを悟る。まじめに働いてずっと貧乏でいるのなら、貧乏なままでいいからできる限り働かないでいよう。彼の小学生のころの将来の夢はペンキ屋で(ラジオで音楽を聞きながらのんびり仕事ができるから)、大学時代に友人に語った将来の夢は、できる限り仕事にしばられず、アメリカ中を旅し、全国各地に友人をつくること。ピートの父は当惑するものの、最終的には息子の冒険に理解を示すこととなる。

本書はジャンルで言うと年収一万ドル以下の文学を代表する作品で(そんなジャンルがあるのかは知らない)、ピートは同じく労働者階級出身のミシェル・ティーにとってのヒーロー。そういえば、ハーヴェイ・ミルクを暗殺したダン・ホワイトと同じ地区出身というのはとても重要なところ。

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皿洗いはアメリカにおいて最底辺の職として認知されている。職種に関する意識調査の結果、740職種中でワースト6位。皿洗いの下は、封筒詰め、売春婦、ドラッグディーラー、占い師、物乞い。しかし、それは責任の少ない仕事ということを意味し、ピートにとってはうってつけ。

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インディ・ディッシュの洗礼

カリフォルニアのアルカタのレストランで出会ったジェスに、皿洗いの音楽としてサンラを紹介され(ピートはのちに「皿洗いのための音楽」というレコードを制作)、ジョージ・オーウェルがパリでの皿洗いの経験を書いた『パリ・ロンドン放浪記』をすすめられる。また『ファクトシート・ファイブ』誌をもらい、ジンの存在を知る。この出会いがきっかけで全50州皿洗いツアーの計画を思いつく。


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ブラック・ディッシュの洗礼

アラスカで黒人のソニーと出会う。彼はニューオリンズのスラム出身の黒人で、すでに3人の妻の間に4人の子供をもうけている父親。出稼ぎでアラスカのサーモン加工工場にきている。ピートはソニーに「本物」の皿洗いを教えてもらう。腰をいためないように足を大きく広げてシンクの高さに合わせる技を教わったピートは、ついには45度の熱湯にも耐えられる腕を持つ皿洗いへと成長する。このようにして、ピートはホワイトとブラッグ両者からディッシュの奥義を習得。

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ディッシュ・レジェンドのひとりであるジョージ・オーウェルが、『パリ・ロンドン放浪記』で皿洗いの置かれている非人間的な現実を告発していったのに比べるとかなりオフビートだが、本書ではピートは自身の経験とともに、皿洗い文化・歴史(ポピュラー文化に登場する皿洗いや歴史上の皿洗いたちなど)を掘り起こしていく。

ピートの先輩には、ウディ・ガスリー、リトル・リチャード、マルコムX、ブルース・リー、1930年代に労働運動の先頭にたったニューヨークの皿洗い、70年代にウィスコンシンの労働運動を率いた皿洗いなど。


ニューヨーク公立図書館で労働運動における皿洗いの歴史をひもといたり、この職へのなみなみならぬ愛情を見せながらも(ピートは仕事後にかならず食器洗い機にキスをする)、イデオロギーや思想というものには一定の距離をおき続けている。たとえば雑誌に掲載された『ディッシュウッシャー』のレビューでアプトン・シンクレアの『ジャングル』と比較されたり、ヒッピーのコミューンで「あなたにとって皿洗いは禅みたいなものね」と問いかけられても、軽くユーモアにまぶしてジンのネタにしてしまう。

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2001年にこのプロジェクトを断念したのち、アムステルダムへ移住。ポートランドのジンショップ〈リーディング・フレンジー〉で働いていたエイミー・ジョイとともに、アイルランド系移民の子であるピートはEUの市民権を獲得。現在オランダの自転車文化についての本を執筆中。彼女との間に子供あり。