0Aaron Cometbus, ed. Cometbus [ZINE]
アーロン・コメットバスが作っている『コメットバス』というジンについて。ジンの世界ではいわゆる古典の部類に入るもので、しばらく『コメットバス』のファンジンを作ろうとしてだけど、まったくすすみそうにもないのでブログ落ち。以下、その下調べ的な8個の覚え書きです。退屈注意。
長いので内容をかいつまんで紹介すると「おそらく北米で最長寿のジン」「パージン(perzine=personal zine)というジャンルの誕生」「ベイエリア特有の過激な体臭」「2ドルのジンで生活費を稼ぐ方法」みたいなことが書かれています。
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経歴
1981年、カリフォルニア州バークレー在住のアーロン・コメットバス(1968-)が創刊したパンクジン。オールドスクールな制作法(ペン、ハサミ、ノリ、コピー機で作る)を現在も続ける、おそらく世界で一番有名なジン。アーロン・コメットバスの自慢のひとつは、自分のジンが『マキシマムロックンロール』(サンフランシスコの老舗パンクファンジン)よりも長い歴史を持っているということ。最新作は2009年に発行された52号("The Spirit of St-Louis")。
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業績
25年以上ジンを作り続けているアーロン・コメットバスのすごいところは、かつてのジャック・ケルアックのようなひとつの世代を代表する作品を残しているみたいなありがちな説明よりは、ジンの売り上げだけで生計を立てるというだれもが不可能だと思っていたことを実現した点にある(2ドルのコピー誌の売り上げだけでって意味ね)。水と油な言い方だけど、おそらくジン史上初のプロのジンスターということ。あとそういえば、彼は『コメットバス』のことをZineではなくMagazine(あるいはMag)と呼ぶことが多い。
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うわさ話
アーロン・コメットバスの父親はユダヤ系アメリカ人の大学教授とのうわさ(リチャード・ヘルと同じ経歴)。あと『コメットバス』といえばの有名な手書き文字は彼の母のメモ書きを真似たものらしい。
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音楽活動
写真は現在アーロン・コメットバスが在籍するベイエリア出身者のオールスターバンドThorn of Life。真ん中のタンブラーを持っているのがコメットバス。他のメンバーはJawbreakersのブレイク・シュワルツェンバック(右)、『Lワード』の役者として有名になったダニエラ・シー(左)。"Live at 924 Gilman Street, 01/31/2009"とググると924ギルマンでのライブ音源が落ちてるよ。5
パージンの典型1
いわゆる典型的なジンのレイアウト(Cometbus #24, 1990)『コメットバス』はベイエリアのパンクシーンについてのファンジンとして創刊。当初は、英国の初期パンクファンジン『スニッフィングルー』のフォーマットにならい、レコードやライブのレビューといった音楽を中心とした内容で、また、コメットバス以外の人にも寄稿をつのるという編集方針をもっていた。
ところが、90年代に近づくにつれ、『コメットバス』であつかわれる題材は、パンク音楽やシーンについてというよりは、アーロン・コメットバス本人の「現実の生活」の問題へとシフトしていく。『コメットバス』はパンクファンジンであることを止め、パンクシーンがつちかってきた価値観をライフスタイル全般(例えば住居、旅、食などの問題)に適用していくことを主な目的とするようになっていった。彼は90年に出版された24号の巻頭でその変化について以下のように書いている。
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『コメットバス』はいまも変わらずパンクジンだ。バンド、レコード、シーンをカバーしてないのにどうしてパンクジンなのかって? だって、そんなものはどれも一時的なものだし、それに他の人たちがもう十分にカバーしてくれているだろ。もっと重要なのはパンクのライフスタイル、ものの見方、姿勢について取り上げることであり、それを「現実の生活」に適用していくことだ。多くの人はパンクを自分たちの小さなシーンからよりひろい外の世界へとあてはめていくことでつまずいてしまっていると思う。そして、ぼくがやりたいと思っているのはそれだ。もちろん楽しみながらね。コメットバスをパンクジンと言ってしまうことで、その可能性を限定していると思う人もいるだろうが、ぼくはそう思わない。パンクというラベルが制限してしまうとすれば、それを狭い意味でしか考えてないからだ。自分のことやこのジンのことをパンクと呼ぶのは、たぶんそうすることによってライフタイルに対しての考え方を広げることができると思っているからだ。わかった? (Cometbus #24, 1990)
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こういった流れ(東京のジンでいうなら『エクスパンジョン・オブ・ライフ』系へのシフト)で、『コメットバス』というジンは、メモワールというか、彼本人の現実を物語化した一人称の小説とも言えるものへと変化していった。このスタイルは「ジャーナリスティックなジャーナル(日記)」とも呼ばれているが、もっと簡単に一言でいえば、ファンジンのパージン化ってこと。『コメットバス』は90年代以降に主流化していったジンのジャンルであるパージン(perzine=personal zine)の代表格といえる。
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ベイエリアのパンクスの典型
以下、アーロン・コメットバスがいるベイエリアのパンクシーンについての文章より。>>
これであなたはベイエリアのパンクスの一員だ。もしあなたが〈ずっと同じ服を着つづけて、シャワーを浴びなければ〉。
西海岸のパンクシーンにおいては、あなたのにおいがひどければひどいほど、周囲からの評価は高まっていきます。以下の悪臭チェックリストは、その人の体臭と街でのポジションを把握する上での手助けとなるでしょう。
1 初級者:古くなってつんとするチェダーチーズのようなにおい
2 中級者:くさった卵を犬のおしっこでマリネにしたようなにおい
3 上級者:赤ちゃんの嘔吐と野球場のマスタードにひたされた腐乱死体のようなにおい
体臭を名誉のしるしのようにまとうベイエリアのパンクスにとって、衛生はかくも重要な意味を持つものとなっています。
[Leslie Simon Wish You Were Here (2009)]
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これはちょっとおちょくりすぎだけど、たしかにほぼホームレスのような生活を送っているアーロン・コメットバスの物語を読んでいるかぎりでは、彼もかなり攻撃的な体臭を持っていることがわかる。これけっこう重要なところ。
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パージンの典型2
切り貼りを放棄したレイアウト(Cometbus #29, 1992)1992年頃、アメリカではジンブームが興り、ジンはマスメディアにおいても注目されるようになっていた。それはこれまで目立たない存在であったジン制作者が、インディロックバンドくらいの(マイクロ)セレブになったということを意味していた(もちろんこれは90年代にパージンが主流化した要因のひとつ)。
当時のアーロン・コメットバスが腹を立てていたのは次の2点。まずはマスメディアがジンを突然どこからともなく生まれてきたトレンドとして報道すること。そして、どちらかと言えばこちらの方が問題視されているのだが、2つ目の非難の矛先はインディメディアに対して向けられたものであった。たとえば「最良のオルタナティブプレス」と称する『UTNE Reader』がやり玉にあげられる。
コメットバスが気に入らなかったことは、ジン文化に精通している(と思っている)若いライターたちが、したり顔で、あるいはジン文化を助けているつもりで、「ジンにはファンジン、政治、アート、セックス、ユーモア、旅行というジャンルがあって・・・」という風にジャンル分けしていったことだった。そしてなによりも、パンクジンをただのファンジンとしてひとつのジャンルに囲い込んでしまったことがとどめとなった。上の抜粋や次に紹介する引用からもわかるように、彼はパンクを通じてあらゆる問題を考えていくというスタンスをとっていたからだ。インディメディアによる報道の問題は、彼が長年かけてたどりついたパンクのライフスタイルへの拡張という考えを逆行させ、『コメットバス』をただのファンジンと定義づけてしまったことにあった。
そのレスポンスとして、コメットバスは切り貼りレイアウトなしの、文字だけの号を出版する。これまでの号では他の寄稿者による連載コラムやインタビュー記事があり、基本的には従来の雑誌のフォーマットを使っていたが、29号ではコメットバス本人の文章だけで構成されこととなる。また、『コメットバス』はなにかと手書き文字のことを強調されるが、かつてはタイプライターによるテキストが主流であったが、この号ではタイプライターも使っていない。この雑誌レイアウトの退化(ファンジンのフォーマットの放棄)が意味するのは、理解者ぶっているインディメディアに対して、そんなジャンルわけくだらないぜってことを身をもって示しているといえる。
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この号の目的は、とにかくあらゆるものをいっしょくたにして、大きなライフ・シチューの中で調理してしまうことだ。日常的で小さな問題と巨大で漠然とした思想のようなもの、真面目なものとおかしなこと、政治とセックス、ぺてんの方法にチェックすべき場所、あるいは思いつきなど、すべてのものをカテゴリーわけせずにひとつの物語としてつむいでいくこと。そして、この物語を通して、この本の目的である、全体に通じるひとつの特徴、テーマ、モラルといったものを少しでも浮き上がらせていこうと思っている。(Cometbus #29, 1992)
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こういった意図に反映させる形で、29号では旅行記、コメットバスの地元バークレーについてのエッセイ、スクウォットでの生活ドキュメント、パンク論、読者からの手紙、ジン・ブームについてもの申す、友人の紹介などといったものが、24の断章形式で書かれていくことなる。24号におけるパンクの日常生活への拡張という考えが、内容にけるファンジンからパージンへの移行を意味するならば、この号のレイアウトはパージンというものの編集スタイルの確立を意味しているかもしれない。
あともうひとつこのレイアウトの劣化が興味深いところは、普通の雑誌なら規模の拡大に比例して立派な誌面へと成長していくのに対し(『パンクプラネット』なんかはそう)、『コメットバス』は雑誌としてはある意味でしょぼくなっていくことによって部数を1万部まで読者を増やしていったこと。
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ビジネス
以下は、アーロン・コメットバスが出版ビジネスについて語っているところ。『コメットバス』のアンソロジー Despite Everything: A Cometbus Omnibus(Last Gasp, 2002)が出版された当時のインタビューより。抜粋元は『パンク・プラネット』51号、インタビュアーはラリー・リヴァモア。
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ーーもし君のところに出版社の人が来て「出版してあげるから小説を書いてくれ」って言われたら、なんて答える?
ぼくのところに来た出版社のだれもがまず部数と値段の話を始めるんだ。でも、ぼくは一冊2ドルで1万1000部売ることができるけど、彼らの提案は一冊を1000部10ドルで売るってこと。何もかも自分で出版したいとは思っていないし、他の人が自分の作ったものを出してくれるってアイデアはいいと思う。それが納得のいくものだったら、よろこんで出版社に協力するよ。でも出版業界は、小さいのも大きいのもーーとくに小規模出版社の場合がそうなんだけどーーわけのわからないことをしがちだ。ぼくたちがパンクシーンですでに成し遂げてきたくらいまでに彼らが達することはなかなか難しいよ。実際、自分はほとんどのインディ出版社よりも長い間出版してきたんだ。パンクスが時間と労力を捧げて自分たちでやってきものを、それをなにも理解していない彼らに譲ることになってしまう。でも、今回のアンソロジー出版は、自分ではできなかったことをついに実現したことになる。というか、別にやろうと思えばできるけど、それに時間を費やすより新しいものを作る方に力を注ぎたいしね。
ーーインディ出版の世界では、インディレコード・レーベルのような成功をまだ手にしていないように思える。インディレコード業界がうまくいったのは、彼らがより安く簡素にかしこくやっていく努力をしてきたからだ。でも、小規模出版社はいまだにそのことを理解していない。
うん。おかしなことだよ。パンクスでさえそのことを理解していないと思う。彼らは小さな本を出して10ドルで売ろうとする。別に2ドルという値段にこだわっている訳ではないけど、ぼくは2ドルで売って利益を上げることができる。そんな値段が重要ってわけでもないけど、まあ、みんな安いほうがいいと思うだろ。でも、本になると別物みたいな考えになってしまう。でも、ぼくはやろうと思えば小説を1万部以上売ることができるんだって知ってるし、そうやってきたんだ。しつこいけど、部数もそれほど重要な問題じゃない。100部でも自分の好きなように売れるならそれでいいんだし。
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