Friday, December 18, 2009

00年代のインディロックは最強という説



先々月ピッチフォークが発表した「2000年代におけるトップ200アルバム」について書いた、サイモン・レイノルズのエッセイ。"Simon Reynolds's Notes on the Noughties: The Musically Fragmented Decade"(〈ガーディアン〉12月7日)。以下そのまとめ。
http://www.guardian.co.uk/music/musicblog/2009/dec/07/musically-fragmented-decade

サイモン・レイノルズは英国人のポピュラー音楽ジャーナリストで、記事のタイトルの頭に「レイノルズの○○」ってつくくらいの大物。英国のポストパンクについて書かれた名著『リップイットアップ』の著者で、来年翻訳がでるんだってよ。はやくでないかな。この記事はそうでもないけど、彼はミスター・シニシストとして有名な人なので(イアン・マッケイの対極にいるような人といえばいいのかな)、元気なくなること注意。


ピッチフォークのトップ10の偏りっぷり


レイノルズのピッチフォーク評は、好き嫌いとか興味ないとかは抜きにして、現在のピッチフォークはインディロックのコンシューマーガイドとしてーーおそらくこのご時世では奇跡的にーー成立している音楽レビューサイトであり、ということはこの00年代ベスト200はもっとも影響力があるはずのものだというもの。まず彼はピッチフォークを「あえて重要」なものとして話をはじめる。

レイノルズが指摘するピッチフォークのランキングの目立った特徴は、ベスト10の中の8枚が00年代の最初の3年間にリリースされたものという、おそろしくかたよっている点("slanted massively to the early years")ーー7枚が00年と01年にリリースされたもので、02年と04年がそれぞれ1枚。00年代半ば以降はパンダベアーのみ。レイノルズの穏当な解釈は、00年代がすすむにつれて、インディシーンがさらなるサブシーンへと分裂していき("the fragmentation of rock/pop")、どのバンドが重要であるかのコンセンサスが極端にえられなくなっていったから。そういったわけで、とてつもない量の音楽を聞いているはずピッチフォークのレビュアーたちでさえも、すくなくとも見通しがはっきりしていた(どのバンドか「重要」かの共通了解があった)00年代初頭に中心をすえざるをえなかったのではないかというもの。

2
レイノルズのトップ10

サイモン・レイノルズが実際にベスト10を選んでみたら、ピッチフォークとは異なり、意外と均等に00年代の前半と後半にわかれたという。とはいえ、00年代前半のリストはピッチフォークとかわらないベタな結果になっているがーーRadiohead Kid A、 Jay-Z The Blueprint、Daft Punk Discovery、the Avalanches Since I Left You 、00年代後半にリリースされたアルバムは前者と比べるとかなりマイナーなアルバムになってしまったーーGhost Box Musicレーベルのもの, Black Moth Super Rainbow, Dolphins Into the Future, Mordant Music, High Placesのアルバム。後者はそれなりに人気がありファンがついているバンドだけれど、まちがいなくレディオヘッドのように幅広く聞かれているものではない。

3
ベスト2000だったら00年代最強説

現在、ひとりの個人がオーディエンスとしてカバーするにはあまりにも大量の音楽が存在している。そして、ここが重要なんだとおもうけど、べつに駄作が大量生産されているわけでもない。現在、優れた音楽をつくっているバンドはたくさんいる。花壇にはあまりにもたくさんの花が植えられている状況かもしれないが、なおかつどれも質がいいところが00年代の特徴。それぞれのバンドは小さなシーンを超えた注目をかちえなくても、他の「重要」なバンドに淘汰され消えていくわけでもなく、それぞれが作品を地道にリリースしつづけている。この10年間は量と質が両立している時代だということ。

そして、レイノルズは思いつきで「年代別ポップ音楽戦争」のすじがきを語りはじめる。もし00年代のベスト2000をかき集めて90年代のベスト2000と比較したら、疑いもなく00年代のほうが優れていることがわかるだろう(レイノルズはそもそも90年代のインディロックをみとめていない)。そして、80年代もなぎ倒し、70年代や60年代の音楽だって打ち負かしてしまうにちがいない。とはいえベスト200だったら話は別。60年代がかろうじて70年代を破り、70年代が80年代にぎりぎり勝り、80年代が90年代を余裕で打ち倒し、90年代は00年代を・・・。まあこの年代戦争はどうでもいいんだけど、レイノルズがくりかえし強調している点は、00年代は音楽的には幅広くリッチな(いわゆるロングテールな)世界であるのはまちがいないということ。

ここでレイノルズが最初にピッチフォークは「あえて重要だ」と評したことがいきてくるのだけど、彼のいう重要さimportanceというものは、バンドでいうならアルバムが優れているかどうかというレベルのものではなく、オーディエンスの方が作り出す価値のこと(受容されるかとかインパクトをあたえるかというもの)。00年代の特に後半のバンドは現在のピッチフォークのサイトが一人勝ちしているような幅広い重要性がもはや持てなくなってしまった。でも、そういった重要性を期待できないことを当然として信じこんでしまうのはよくないよ、というのが彼の意見。まあここまで長々とまとめ書いといてなんだけど、これってよく言われてることな気もするね。

さておき、こないだ本を読んでいたら、数多くあるウォーホルの15ミニッツフェイムのパロディの中でもわりと有名な、「将来すべてのひとは15人の有名人になるだろう」"In the future everyone will be famous for fifteen person"って言葉をみて、なんかぞっとしちゃったよ。

Friday, December 11, 2009

Zinecore Radio



ジンスターがジンについて語るポッドキャスト「The Zine Core Radio Show(「ジンコアラジオ」)」。去年の5月からはじまってたみたいだけど、だんだんとゲストが豪華になってるよ。
http://www.blogtalkradio.com/thezineshow

これまでのゲスト:アレックス・レック、ノミ・ラム、クリスティ・ロード、ミシェル・ティー、リチャード・カーン、ブルース・ラ・ブルース、リディア・ランチ、キャスリーン・ハナ、ジョアンナ・フェイトマン、スティーヴン・ダンカム

ちょっとおもしろいのが、製作途中のホームページの他にも、マイスペース、フェイスブック、We Make Zines、You Tube、ツイッターと、ジンコアラジオをひろるためにあらゆるチャンネルを利用しているのだけど、とにかく情報があっちこっちにとっちらかっていて、かえって正確な状況がわかりにくくなっているところ。おそらくハナ・ニューロティカ(Hannah Neurotica)ってけっこう若いひとがやってるのかな。

次回の放送は、前回ブログで紹介した『ガールジン』の著者アリスン・ピープマイアーと『ビッチ』誌のアンディ・ザイスラーだって。

Monday, December 07, 2009

ジンについての新刊、2冊


0
話題の新刊

ガールジンだけを題材にまるまる一冊書いた最初の本。アリスン・ピープマイアー著『ガールジンーーメディアを作る、フェミニズムする』(ニューヨーク大学出版局、2009年)Alison Piepmeier Girl Zines: Making Media, Doing Feminism (NYUP, 2009)。あえて「話題の新刊」と書いたのは、こないだの木曜日にアマゾンから届いて、次の日にトキョーブックフェアに持っていったら、やっぱりリルマグ店主のモモさんも持ってきていたってだけの話です。



表紙はシアトルでMend my Dressというジンを作っているネリー・バット・チェストナットによるコラージュ。本の中身のほうで紹介されているチェストナットの切り貼りはすばらしいんだけど(右画像)、どうも彼女のスタイルはこういう本の表紙にはあってない気がする。去年あたりに出たライオットガール本でもいいだけど、ジンとかライオットガールをあつかった本って、基本的に装丁がいまいちさえないのがいつも残念に思う。ニューヨーク大学はもうちょっとセンスあると思ってたのにな。

1
ガールジンの精読

本書は、ライオットガールジンの古典であるトビ・ヴェイルのJigsawの精読にはじまり、ガールジンの世界ではスター級のジンスターの作品群ーーノミ・ラムのI'm so Fucking Beautiful、クリスティ・ロードのGreenzine、ネリー・バット・チェストナットのMend my Dress、ミミ・グエンのSlant、シンディ・クラブのDorisなどーーを読解していき、そしてラストはアン・エリザベス・ムーアの『アンマーケタブル』にふれて終わるという、キャシージン的にはどストレートな素材選。

もちろんこの本のほうがずっと立派だけど、内容的にはこれまで自分たちのジンでとりあげてきたものとあまりかわらない。なんとなくスマートな学者が作った模範解答をみながら、自分たちがやってきたことの答え合わせをしているような感覚で読めた。

個人的にはシンディ・クラブの『ドリス』がフィーチャーされてるのがよかったな。『ドリス』は現在毎号3000部くらい刷られているパージンで、マイクロコズムからアンソロジーが出版されている。シンディ・クラブはわかりやすく言うとジン界のキミヤ・ドーソンといった感じというか、キルロックスターズというよりはKレコード的な感性の持ち主で、インティメイト(親密さ)って単語を見るたびに、シンディ・クラブ(とキミヤ・ドーソン)を思い出す。ほんと大好き。そういえば、シンディ・クラブは今Riot Grrrr Distroってジンやレコードのディストロをやってるんだって。これ知らなかった。
http://www.dorisdorisdoris.com/riotgrrrrhome.html



ひとつだけ注意は、本書のタイトルはGrrrl zineではなくGirl zineという点。いわゆる90年代初頭のライオットガールシーンで作られていたジンだけではなく、それらも一部として含む、ここ20年の間に出版されてきた若い女性たちによるジン全般が本書の射程となっている。序文を書いているのがライオットガールというよりはサードウェーブフェミニズムの雑誌『ビッチ』のアンディ・ザイスラーであるのが象徴的。

アリスン・ピープマイアーは現在サウスカロライナのチャールストンカレッジの准教授で、英文学・女性/ジェンダー論が専門。結論部で彼女は1990年に高校生だったと書いているので、現在30歳代後半の学者ーーおそらく年代的にはビキニキルよりもすこし若くて、スリーターキニーあたりと同期。彼女自身が元ライオットガールシーン出身とかそういうわけではないそうで、90年代のサードウェーブフェミニズムへの関心から自然とライオットガールたちからはじまったガールジンの世界にひかれていったとのこと。

2
北米のジンの今、ジンを知らない世代の登場

アリスン・ピープマイアーが大学の授業でジンについての講義したときの話が紹介されているのだけど、どうも現在のアメリカの大学生の大半はもはやジンというものを知らないらしい。ネットの時代なんだからそりゃ当たり前ともいえるけど、ついにアメリカではジンを知らない若い世代が登場。けっこう衝撃的な事実だと思った。北米ではジンというのは今では(それとも「今でも」といったほうが正確?)マイナーなメディアなのかも。少なくとも彼女が教鞭をとっているアメリカ南部の大学生はジンのことを知らないようだ。

ちょっと数字の話。彼女によれば、現在も発行されている北米のジンレビュー誌『ジンワールド』に掲載されたジンの数は、2004年の21号で155冊、2007年の24号で199冊。また、北米最大のジンディストロであるマイクロコズムが取り扱っているジンの数は、2009年4月の段階で、785冊とのこと。ちなみに、90年代半ばジンブーム全盛期において、『ファクトシートファイブ』誌では1200以上のジンレビューが掲載されていたといわれている。

3
Zine versus Blog


本書では、ガールジンの世界におけるジンスターと読者があみあげている関係性を「身体化された共同体」"embodied community"と名づけ、それといわゆるブロゴスフィア(ブログ圏って訳すのかな)との違いについて取り組んでいる。意外とジン対ブログの問題をやっているひとは少ないし、また、90年代初頭から現在に続くガールジンの世界について書くには避けて通れない道なのだけど(だいたいこれまでのジンについて書かれたものは90年代半ばで終わり、ネット以降のジンの世界についてふれることはまれ)、正直言えば、どうもそのへんは微妙かも。"e-zines are not zine”というバッチを普段からつけている自分でさえも、この本はブログを単純化しすぎてるんじゃないのって不安になる書き方をしている気もする。ちなみにこのバッチはアレックス・レックというポートランドのジンスターが作っているもの(『ストールン・シャーピー・レボルーション』の人)。

途中

4
話題になっていない新刊

こちらはパージンについてまるまる一冊書いた最初の本。アンナ・ポレッティ著『親密なエフェメラーーオーストラリアのジン文化における若者たちの暮らしを読む』(メルボルン大学出版局、2008)Anna Poletti Intimate Ephemera: Reading Young Lives in Australian Zine Culture。この本ほんと衝撃的なくらいな名著だと思うんだけど、これまた残念なことに表紙がさえない。中身はさいこーにクールなんだけどなあ。



アリソン・ビープメイアーに足りないもの。それはただひとことパンクにつきる。べつに足りなくてもいいんだけど、そこが自分たちのジンとの関心の違い。知らぬ間にひっそりと出版されていた『親密なエフェメラ』において、著者のアンナ・ポレッティは、冒頭でブルース・ラ・ブルースがクィアコアファンジンのアンソロジーに寄せた次の言葉を紹介し、学者の立場からジンについて書くことのむずかしさについて述べている。

その前に簡単に紹介しておくと、この本はオーストラリアの若い学者(専門はライフナラティブ研究)が書いたジンについての研究書で、ライフナラティブという単語は、自伝、伝記、メモワール、日記といった個人の人生について書いたもの全般を指すものらしい(なんか違和感あるけど、なれると無駄に多用したくなる便利な言葉)。もちろんその中にはパージン(perzine=personal zine)も含まれる。ピープメイアーの本がガールジンについての初めての単著なら、ポレッティの本はパージンについて書かれた初めての本。話戻して、以下はブルース・ラ・ブルースの言葉。

「ここでぼくはセンチメンタルなやつになろうとしてるわけじゃないし、パンクについて論じようなんかは思っていない。だってそんなことしたあかつきには、それをどこのだれが論じようとも、とんでもなくマヌケに聞こえちまうのがオチだ。クィアコアファンジンがカタログ化され、歴史的に位置づけれ、分析されていった果てに消えていったみたいに、パンクは論じられるべきものじゃない。そんなのまさかだよ。すべてはゴミ箱へといれらるべきものだ。要点はそこ。いますぐファンジンなんかくずかごにいれてしまえ。そして前へとすすめ。とにかくゼロックスされたものは永遠に存在しつづけるものなんかじゃない。消えていく運命にあるものだ」

このブルース・ラ・ブルースの言葉があらわしているのは、ジンスターたちの学者に分析されるときに感じる典型的な不信感で、アカデミズムに取り込まれてしまうくらいなら、ファンジンなんかは捨てた方がましだというもの。これはまた、まったく外部の者がジンについて書く際の危うさも示唆していて、要は、こういった論じられる側の不安を無視し、彼らのジンをただの自分の論の道具にしまった結果、とんだピント外れなことを論じているかもしれないということだ。

どうもアリスン・ピープメイアーはそのあたりへの不安が感じられないというか、そもそもそういった機微には関心がないようにみえる。その一方で、アンア・ポレッティは、ジンスターたちの不信感を無視せず受け入れるとともに、それでもなお、ブルース・ラ・ブルースの言う「マヌケに聞こえてしまう」かもしれない可能性に立ち向かうのだと所信表明をしている。つまり、ピープメイアーがあくまで学者の位置をくずさずに書いてるのに対し(おそらく彼女の想定読者は北米のフェミニスト)、ポレッティはジンスターたちの不信感に返答することによって、ジンシーンそのものとアカデミックなテクストとの対話をこころみているともいえる。べつにそんなことを気にしていないひとにとってはどうでもいいことかもしれないけど、こういったわけでピープメイアーはパンクが足りない。

というか、細かいことは無視して言えば、アンナ・ポレッティの本がほんとパンクすぎて、ピープメイアーが普通にみえてしまうの。『親密なエフェメラ』はいい意味で自分の考えてきたことが全否定されてしまうような読後感だよ。たぶんポレッティ読んでなかったらもっと『ガールジン』に興奮したと思うんだけど。なにはともあれ今はオーストラリアが一番パンク。今まさにポレッティは、とおいとおい南半球で、アメリカやイギリスから伝播してきた外来文化としてのジンにけんかうってるところだよ。

下はポレッティがインタビューに答えている映像。



5
オーストラリアのスティッキーと東京のジンスタギャザリング

さておき、今年のあたまくらいのことだけど、アンナ・ポレッティがジン特有のライティングスタイルとして紹介していた"you know what I mean"って言葉が気に入って、自分のジンのタイトルにしてしまったことがあった。

このジンはアン・エリザベス・ムーア(元『パンクプラネット』誌副編集長)が書いた『アンマーケタブル』という本に触発されて作ったもので、このブログの記事の最初にふれたけど、アリスン・ピープメイアーも『ガールジン』の最後にムーアの本にふれている。



で、このジンは今年の2月に東京で開催されたジンスタギャザリングというイベント用に作ったもので、ちょうどそのときはオーストラリアのジン専門店スティッキーが企画したインデペンデント・リテラリー・コンスピラシー・ウィーク(独立系出版がんばれ週間みたいなの)と連動したイベントだった。それで最近知ったんだけど、アンナ・ポレッティもそのスティッキーコレクティブの一員なんだって。まあ、だからなんだよっていうか、世の中せまいよねって話。

Sticky Institute
オーストラリアで唯一のジン専門店
http://www.stickyinstitute.com/

Wednesday, December 02, 2009

You are Her


サンフランシスコで開催中のジンのイベント「You Are Herーー1990年代のライオットガールとアンダーグラウンドシーンの女性たちによるジン」(You Are Her: Riot Grrrl and Underground Female Zines of the 1990s)

2009年11月20日~2010年1月中旬の間、サンフランシスコのヴァレンシア通り766にあるGoteblüdというジン書店ーー中古のジンを取り扱うジン専門古書店ーーで開催されているイベント。90年代に出版されていたライオットガールジンが、なんと700册近くも、展示されているんだって。ああ、飛んでいきたい。

展示されているジンのリストは以下のブログにて。超本格派なラインナップだよ。http://goteblud.livejournal.com/7734.html

このジン古書店の経営者は90年代にOutpunkというクィアパンクジンを作っていたマット・ウォーベンスミス。全盛期のアウトパンクっていったらまちがいなくパンクプラネット級にすばらしいジンだよ。以下の引用は、マット・ウォーベンスミスのインタビュー記事で、彼がどうしてジンの古書店を始めようと思ったのかについて答えているところ(〈サンフランシスコベイガーディアン〉紙)。

>>
ぼくは10歳のころからジンを集めてきたんだ。で、ここ数年の間、「きのう段ボール4箱分のジンを捨てちゃったよ」みたいなことを言ってる人をみてきて、心の中でずっと思ってた。そりゃ間違ってるって。なんで古いジンが無価値なものだなんて考えるんだよ。ジンは値段のつけられないほんと貴重なもんなんだぜってね。そういったわけで、昔のジンを捨てようとしている人たちの手からジンを回収し、保管しはじめたんだ。しばらくして、この中古のジンを買い集めるという活動は、ぼく個人のオブセッション以上の規模になってきた。で、場所も見つかったし、そろそろ中古ジンの店を開く時が着たなってことになったんだ。
<<

とりいそぎ、あした、あさって、しあさって



毎年恒例のトーキョーブックフェア#4が開催されるそうです。詳細はリルマグIRAのブログにて。

いまここで今回のブックフェアを簡単に紹介しようとイベント詳細を読んでみたのだけど、なんど読みかえしてみても、ちょっとウケるくらいに、まったくなにが起こるのか予想がつきません。とにかくなんだかわからないけど、たのしいことが起こりそうだよ(去年はさいこーに楽しかったしね)。

とりあえず目玉は、翻訳が予定されているイーディ・ケルアック・パーカーの回想録のイベントなのかな。彼女はジャック・ケルアックの最初のパートナーなんだそうです。

まったく関係ないけど、ケルアックといえば思い出す以下3つの引用。

1
作家リン・ティルマンがケルアックのまぬけさついて語っているところ。80年代初頭のニューヨークで出版されていたジンBikini Girl より(このジンはビキニキルとはまったく関係はない)。そういえばリン・ティルマンも「かつてジョン・ケールとデートしてた人」みたい雑な紹介をされることがある。

>>
リン・ティルマン:(略)そういえば前にルー・リードとウィリアム・バロウズのすごくおもしろいインタビューを読んだことがあるわ。ルーはこう言ってた。「なあ、ビル。おれはケルアックについてどうしても理解に苦しむところがあるんだ。なんでケルアックはあれほど偉大な作家なのに、母親の家でテレビの前に座ってビールを飲んでいるようなまぬけになっちまったんだ?」。で、バロウズはこう答えたの。「ケルアックはまったく変わらんよ。はじめから母親の家のテレビの前でビールを飲んでるようなまぬけだったし、年老いても母親の家のテレビの前でビールを飲んでるようなまぬけだった」。
<<

2
そんな普段は温厚なケルアック本人がモデルとなっている『オン・ザ・ロード』の主人公サル・パラダイスがめずらしく激怒するシーン。

>>
ふたりはくたくたでかなり薄汚れていた。レストランのトイレでぼくが小便をしていると、ディーンが洗面台で手を洗いに来てぼくが道を塞ぐ格好になったので、途中でやめて便器を離れ、別な便器に移動してまた小便をして、そしてディーンに言った。「この芸当すごくない?」
 「まあな」やつは言いながら洗面台で手を洗った。「たいした芸当だけど肝臓には良くねえよ。もう年をとってきたんだし、そんなことして年寄りになるとひどいことになって、ひどい肝臓病を抱えて公園でお座りしているような羽目になるぞ」
 これには頭が来た。「だれが年とってきたって? たいしてちがわないだろうが!」
<<

ディーンの小便発言がなんでこんなに気にさわってしまったんだろうか。ここほんとミステリー。たしか『オン・ザ・ロード』で主人公が感情をあらわにして怒るのはこのシーンだけだった気がする(うる覚え)。こりゃまぬけだよ。30歳くらいの男子にとって健康を気づかわれることはそんなにナイーブな問題なのだろうか。それともケルアックの父親も小便プロブレムをかかえていたりしたのかな。

3
調子に乗って小便をがまんしすぎる恐怖(キンコーズの創設者でレバノン系アメリカ人のポール・オファーラの自伝より)。

>>
時にはパートナー(キンコーズの店舗の経営者のこと)といっしょに、私が最寄りのコンビニに駆け込んでいちばん大きいサイズのアイスティーを買い込み、それを飲んだ後、だれがいちばん長くトイレを我慢できるか競い合ったりした。私がパートナーのブラッドとコ・ワーカー(キンコーズの店舗で働く人のこと)のマイク・ファスといっしょに出張に行ったときに、いつものアイスティーを三人で飲んだ後、二人はこっそり私が見ていないすきにキンコーズの店のトイレで用を足していた。案の定、やがてトイレを我慢できなくなった私は、二人に頼んで車を歩道に寄せてもらう羽目になった(もっともそんなことばかりしていたせいで、後年私は膀胱を手術することになった)。
<<

社長が部下をひきつれて「だれが最後まで小便をがまんできるかゲーム」。社長の接待でこんなことさせれたらたまんないよ。